グループ展・その他
1990年 | 二人展/ギャラリーすずき(京都) |
1994年 | 国際丹南アートフェスティバル'94/(福井) |
1995年 | アートヘルメット展/ギャラリー16(京都) Portes Ouvertes Au-Japon/バスティーユ地区(パリ) |
1996年 | 日仏現代美術交流展 Whitout Identity, Whitout Frontier/旧立誠小学校(京都) |
1997年 | 営みの鳥人-行為と触覚より-/ギャラリー16(京都) S.A.C.S展/大覚寺(京都) |
1998年 | メタフィジカリズム'98/ギャラリー16(京都) トラッシュライブ/西新宿路上(東京) INSIDE・OUTSIDE/アートスペース嵯峨(京都) |
2000年 | ポストコンテンポラリーアートエキシビジョン/ギャラリー深志(長野) Desde el pensamiento al Semtimiento/メキシコ国立自治大学ENEP |
2001年 | Limite・Bpeque de TLALPAN(メキシコシティ) |
2004年 | O-4 CHOPO/メキシコ国立CHOPO美術館(メキシコシティ) |
2002年 | Presencia de Japon en Mexico/Casa del Lago(メキシコシティ) |
2003年 | Ladicado/メキシコ国立M.U.C.A. ROMA美術館(メキシコシティ) 36.5゜C 97.7゜F /Centro Cultural Juan Rulfo(メキシコシティ) |
2004年 | ARMORY SHOW(ニューヨーク) Siete Caminos/Bosque de Viberos(メキシコシティ) Post-folk/ギャラリーSector Refolma(グアダラハラ) |
2005年 | alteracion/Casa Frisac Centro de Tlalpan(メキシコシティ) |
略歴
1968年 | 京都生まれ |
1989年 | 嵯峨美術短期大学立体造形科本科卒業 |
1991年 | 嵯峨美術短期大学空間造形コース専攻科修了 |
1992年 | 嵯峨美術短期大学綜合美術研究所研究生修了 |
2001年 | 大学評価学位授与機構芸術学美術学士取得 メキシコに渡る |
2004年 | 文化庁新進芸術家海外留学制度によりメキシコに研修員として派遣 メキシコ国立芸術院エスメラルダ大学客員アーティスト |
個展
1992年 | ギャラリー中井(京都) |
1993年 | ギャラリー16(京都) |
1994年 | ギャラリー16(京都) |
1995年 | ギャラリー16(京都) |
1997年 | 信濃橋画廊(大阪) |
1998年 | ギャラリー中井(京都) |
1999年 | ギャラリーGimnagium(大阪) ギャラリー16(京都) |
2002年 | ギャラリーEl Epicentro(メキシコシティ) |
2004年 | ギャラリーAtrio(メキシコシティ) |
2005年 | neutron(京都) |
2006年 | ルーチェベルデ・オープンスペース(愛媛) |
展覧会
2005年1月29日(日)〜3月5日(日)
今、確かにここにある、
実際には目にみえないものを目に見えるものに置き換えてみる。
光、温度、湿気、五感、時間、つながり、生命力、、、。
私達が知識として知っているものばかりだが、
こういうものたちをもう少し意識し、認識すれば、
ひとの営みをもっと深くて豊かなものにすることができる。
—染み出る空間意識—
美術作品を一つの空間に陳列したり、展示したりする場合、アーティストの故意的な意思やコンセプトとは別に、育ってきた環境や文化・歴史・宗教などによって深く影響される。
こういった、民族性によって無意識に現われる、空間意識のありかたは、20世紀西洋美術において、重要視されていなかった。そして、西洋側から見た、我々他文化民族のアーティストは、ヨーロッパ・アメリカの空間概念を手本としすぎ、自分達の感覚を軽視してきたのではないだろうか?
私は、西洋現代美術史の中で、これまで他者として存在してきた、日本のアーティストによって、民族性における空間把握とは何か、を見い出そうとする。
こうした表現は、近代のヨーロッパ・アメリカ中心的な世界観や主体性が崩れたといわないまでも、さまざまな形で修正を受けている時代に、見直してゆくべきことではないだろうか。